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絲山ワールド!

2015.06.10 Wed
離陸 絲山秋子 文藝春秋

2015061001.jpg

数年ぶりの絲山秋子の長編である。

まさに絲山ワールド!

正直、ストーリーもなにも意味がわからないけど、文章の美しさに

引き込まれていく。

そして気持ちよくその世界に入っていけるのだ。

よくわからなかったけど、読んで良かったなあ~という気持ちよさが残る。

それがなぜ気持ちいいのか・・・・・。

考えて見る。

そしてわかったのは、何気ない行動の描写なのだ!

それがこころに残るのだ。

そして、それが文章として美しいのだ。

それは、とりもなおさず主人公のサラッとした生き方、視点、思考回路が

すごく気に入ったのだと思うのだ!

そんなことに共感を覚えたからだと思うのだ!

そして、納得させてくれたのが池澤夏樹の評だった。


今週の本棚:池澤夏樹・評 『離陸』=絲山秋子・著
毎日新聞 2014年11月02日 東京朝刊
 
 (文藝春秋・1890円)
 ◇謎のまま納得「時間の作用」でジャンル横断
 タイトルのことから始めようか。
 「離陸」は死につながる一つの光景である。
 人間はみな死ぬ。それが滑走路から空へ向かう飛行機に重ねられる。
 人生とは離陸の順番待ちの時間であり、生きる者はみな誘導路に並んで自分の番が来るのを待つ旅客機だ。死についてのこの美しいイメージがこの小説の背景をなしている。
 次に、すべて創作はなんらかのジャンルに属する、という世間の思い込みのことを考えなければならない。小説ならば「純文学」と「エンタメ」は違うし、その先も何段階にも細分されている。作家はいつも自分が選んだジャンルの制約の中にある。
 例えば、本格ミステリの基本はがちがちのリアリズムである。アリバイは一秒きざみで解析される。探偵役が理詰めで謎を解いていって、最後に犯人は幽霊でしたと言ったら読者は憤慨するだろう。
 絲山秋子は『離陸』でジャンル横断を試みた。
 語り手にして主人公であるのは佐藤弘(ひろむ)という若い男。彼が国交省の現業部門でダムの管理をしているところから話は始まる。読者は彼の人生を二〇一〇年から十五年間にわたって伴走する。最後は二〇二五年。
 だが彼は半分しかこの話の主役でない。深い雪のダムの脇で彼は謎の黒人からいきなりサトーサトーというあだ名を与えられ、「女優」を探してほしいと頼まれる。
 「女優」の本名は乃緒(のお)(あるいはNO)。何年も前に弘の恋人だったが、彼をあっさり捨てて消えた。それがなぜ今? どうやら彼女はパリに行ったらしい。
 読者は、これはしばらく前に流行したクエスト物の再来かと思うだろう。村上春樹の『羊をめぐる冒険』のような話なのか。乃緒が佐藤弘の前から消えた後でイスラエルの映画に一瞬だけ出演していたことがわかるあたり、いかにもクエストっぽい。それが二〇〇六年頃のこと。
 しかし話はこの謎を追う筋からどんどん逸脱するのだ。佐藤くんが必死になって昔の恋人の足跡を追うという展開にはならない。彼は矢木沢ダムからパリのユネスコ本部に転勤になって途上国の水問題を扱う(はじめから終わりまで、ダムから船まで、これは「水をめぐる冒険」である)。パリにいるのだから乃緒の謎にぐっと近づけるはずなのに、彼はその先になかなか踏み込まない。ストーリーのための自分ではないと思っているみたい。
 謎の鍵はたくさんある。弘をクエストに引き込んだカリブ海出身の黒人イルベール。彼の同郷の友人フェリックスと乃緒の間に生まれてブツゾウ=仏造と名付けられた九歳の少年。そしてフランスとイスラエルないしパレスティナをまたいで活躍・暗躍するスパイとしての乃緒の行動を書いた謎めいた文書。その内容を信じるならば、乃緒はマダム・アレゴリという名で一九三〇年代から活動していたらしい。
 そんな時代跳躍があり得るだろうか。このあたりまで来て読者は乃緒の正体を疑うと同時に、作者の意図を図りかねて戸惑う。これはどういう種類の小説なのだ?
 謎の反対側には佐藤弘のパリの日常がある。ユネスコの職員として働き、そこそこ生活を楽しみ、時にはブツゾウ少年と遊ぶ。アパルトマンの冷蔵庫を修理に来てくれた電気屋さんであるところのリュシーという女性と恋に落ちて一緒に暮らすようになる。
 佐藤弘の人生の展開と、それにつかず離れずに絡む乃緒の過去と現在の謎。利根川上流の山中に始まって、パリに移り、更に熊本県の八代に転勤、最後は福岡に至る彼の移住歴と職歴を読者は辿(たど)る。
 この破天荒な展開を読者が受け入れるのは細部がきちんと書き込まれているからだ。
 例えば、弘の妻となって八代で暮らすリュシーが熊本まで行って靴を買う場面の、その靴選びの濃密な時間の描写が、ファンタスティックの方に流れそうなこの小説のリアリティーを担保する。しっくりと足に合う靴がなければ人は遠くまで歩けない。
 サトーサトーという弘のあだ名の由来は、ブツゾウが幼い時に母から聞かされたおとぎ話だった。そこでは弘は「水の番人」だった。ダムの管理者にはぴったりの名前だ。この名前があったおかげで彼は九歳のブツゾウと出会ってすぐ心を通わせることができた。
 この小説の主題の一つは、時間の作用ということではないか。
 話の中で弘は二十四歳から三十九歳までの時を経るし、周囲の人々もそれなりに歳(とし)を取る。それはそのまま成熟の過程として読めるのだが、その一方、途中でずいぶんたくさんの登場人物が不慮の死を遂げる。殺されたり、病死したり、衰弱の果てだったり。読む者は彼らを次々に誘導路から滑走路に出て離陸してゆく飛行機として見送る。
 たくさんの謎が謎のまま残るのに、読者は穏やかな納得と共にこの本を閉じる。一群の人々の上に働く時間の作用を書く、という作者の野心は達成されたと言っていい。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『離陸』=絲山秋子・著」、『毎日新聞』2014年11月02日(日)付。






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